2010年1月の日記
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1月29日

 オトナの言い訳:バタバタしてました(ぉぃ




 皆様には過分にお心遣いをいただき恐れ入ります。

 また、前回ああだこうだと書きっぱなしのまま、その後の報告もなまま今日に至ってしまいまして、ご心配をおかけしました。ごめんなさい。というわけで、今回は最初に書いておきますね。

 母は退院しましたぼくは元気です。




 では、また懲りずにメモっす↓




 25日・月曜日

 仕事に90分の遅れ。フレキシブルに対応してもらえるものの・・・前回同様、その後発注が減りはしないかと不安。とりあえず昼から寝る。

 起きてみると昼に母からメールがあったらしく、診察で退院が可能であると伝えられたことを知る。おそらく明日だろう・・・が、申し訳ないが睡眠優先と考え、顔を出すのは諦める──とは書けぬまま、返信せず。

 そもそも、携帯に送ってくれと言っているのに、またPCに送って来ている。読むのも返すのも遅くなるからやめて欲しいが、入院中では強く言う気になれない。




 26日・火曜日

 今は自分の布団にいる、と母からメール。どうやら無事退院したらしい。無難に返信するが、「携帯へ送るつもりでPCにメールを送って来る」件についてチラっと釘を刺しておく。もう家にいて元気なら構うまい。




 27日・水曜日

 昼、いつもの3倍の仕事が来る。焦りはするものの、発注量が減らなかった幸運に感謝。時折だましだまし仮眠を取りながら、翌朝まで突っ走る。




 28日・木曜日

 全て時間までに納品した後で床に着こうとしたが、雑事に追われままならない。しかたなく翌朝納品分に取り掛かる。




 29日・金曜日

 今日も時間通り。日中それなりに睡眠を取ってみたが、気分的には少し足りない。

 夕刻、週明けの仕事が通常の倍になっていることをメールで知る。今日は昼も寝た上、夜も寝てしまおうかと思っていたが甘かった。それでもまた、減らなかったことにひたすら感謝×2。

 ↑今ここ

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1月23日

 テンパった・・・。




 18日・月曜日

 めまいがして起き上がれなくなった母が、悪心からもどすばかりになる。父が医師に電話で相談してみると、大きな病院でなければ無理だろうと助言され、救急車での搬送を選択。

 脳外科か内科か耳鼻科か、運び込まれるまでの救急隊員と病院側のやりとりは甚だ慌ただしかったが、ひとまず受け入れ先は内科に決まり、あらゆる検査を受けつつ入院。

 安定剤投与で眠った母に二種の点滴がなされるに至り、ひとまず一段落。父は医師に促されて帰宅し、二人の息子に連絡を取ろうとする。ひとりは救急車の三文字に大きく驚きながら明日来ると言ったが、もうひとりは留守電なのでかけ直す事にする。父は「機械とは話さぬ」主義だった。




 19日・火曜日

 朝、仕事関連の電話。昨夜の知らせで集中を欠いていたのか、考えられない凡ミス。幸いにして先方はウケたという反応。すぐに正しいデータを送り直す。

 十四時の面会時間開始に合わせて、母を見舞いに行く。話は普通に出来るが、時折気分が悪くなって中断する。父が弟にまだ連絡できていない事を告げると、母は、弟の妻の実家に知られて大仰に見舞われたら困る、誰にも知らせなくて良いと言う。

 水とスポーツドリンクを口にすることは出来るが、食事は出来ない。

 一度、上下の感覚が九十度ずれてしまった、どうしたらいいかわからない、と言うので、目をつぶれ、そうすれば上下などどちらでも構わないと促して様子を見る。幸いにして直に感覚は元に戻った。

 その後母から弟の名で呼ばれて驚いたが、落ち着いてみればいつものことだったと思い直す。長年にわたり両親は互いに息子の名を間違えたと指摘し合うが、今も共に改善の気配が全くない。弟も同様に、しょっちゅう名前を間違えられている。



 年末こうだった、年始こうだったと話を聞いてみれば、疲労やストレスになるような、つまり具合が悪くなるに至りそうなことが山ほどあることに、言葉は悪いが納得。

 まずは休み、ついでに今後の人生ではもっとグウタラすべしと休養第一を提案するが、気分が良くなったらすべきことがたくさんあるのだと不満そうにしている。



 やがて眠りたいから、と父ともども追い出される。不便は不便だがやりたいようにやっているから大丈夫だと、父は共に帰宅することを拒む。色々想像して心配にはなったものの、弟が生まれる頃にしばらく二人暮しをしていた様子を思い出して、父の意思を尊重することにする。

 外食の後父に、今は通勤時間だ、ラッシュの中帰るのはいやだと我が儘を言ってみたら、じゃあ二軒目だといって居酒屋へ。久しぶりに日本酒を酌み交わし、特に何ともなくあれこれを語って解散。




 20日・水曜日

 父が果物を買って行ってみる。好きな苺なら食すかも知れぬと考えたらしい。母は全てたいらげた。入院以来始めての食べる行為だった。




 21日・木曜日

 朝、前夜発注の仕事を九十分遅れで終える。まだいつもの集中力は発揮できないらしい。

 そろそろ検査の結果が出てはいまいかと、父に電話してみる。結果は出ていない。しかも、まだ弟に連絡できていないと言う。それはこっちでやると約束し、明日行くからと伝えて午前のうちに就寝。

 弟から、電話しろと送っておいたメールへの返信があり、目を覚ます。どういうわけか番号がアドレス帳になかったというので、こちらから掛ける。何をどういう順に話すかシミュレートしてあったのに、寝起きなので思っていたほどにはうまく行かない。とりあえず意図は全て伝わったようで、今からひとりで見舞って来るとのこと。

 しばらくして弟から、食事をしていた、だいぶ良くなっているとメール。ご苦労さん、明日見て来ると返信。




 22日・金曜日

 十四時に合わせて見舞いに行ってみる。

 階段の踊り場で携帯メールを打っている人を見かけ、院内にあるまじき行為だと憤慨しながら病室をのぞくと、外出などのサインが出ていないのに姿がない。

 階下の売店でミネラルウォーターを一本買い、休憩所でゆっくり飲んでから再び行ってみると、先ほどメールを打っていた人物こそが母であると知る。既に自力での歩行を始め、滞っていた各所への連絡も行っていたことに驚く。

 階段部分は、通話すら許可されていると知って更に驚いた。公衆電話の置いてある、戸の閉まるスペースは承知していたものの、まさか階段とは。

 電話を掛けたいから前述の専用スペースへ案内しろと言われ、付き添ってロビーへ。電話室の戸を閉めると、母は壁にもたれようとして距離を測り損ねて肩からぶつかり、どん、と大きな音を立てる。しかし慌てているのはこちらだけで、本人は何でもないと涼しい顔をしている。

 病室へ戻ると──前回もそうだったが今回も、父や弟や親類などへの不平不満愚痴をこれでもかと大小さまざま並べ立てる。元気ならフザケルナとたしなめたくなるところではあるが、自分で見舞いを断るくらいだし、同室の患者たちにも馴染めないようなので話し相手もなく「たまっている」のだろうと、聞き流すに徹する。

 十六時になって父が現れる。また苺を持参していた。ごはんが全部入らなくなると母は渋い顔をしたが、昨日のごはんはおいしくなかったからと結局食べる。

 しばらくベッドの上に座ってみたり、ひとりでトイレに行ってみたり、母は退院する気満々。

 医師から、内耳にある某器官が急激に動いて修正し難い状況に陥ったことをめまいの原因と指摘されたらしい。首を正確に九十度曲げる動作を左右繰り返しているうちに気分がすっかり良くなった、適切な処置だと喜ぶ母ではあったが、まだ一種点滴を打ち続けている。

 それでもまだ検査がどうだったなどの話はない。どこかしらに病気があって、今回の状態が快癒したらそちらの治療に移るのだろうと母は妄想を膨らませているが、原因を指摘され治療も進んでいるのだから、むしろ検査からは何も異常が発見されなかったと思う方が妥当と考える。

 食事の時間が近づいたので、また父と外食することに。本当は今後のスケジュールを踏まえてすぐに帰路に着くつもりだったが、珍しく父が寂しそうにするので予定変更。今度は最初から居酒屋へ。

 十五分経った頃、弟からメール。更に十五分後に病院へ到着予定だと言うので、どこそこにいるとだけ説明。面会時間を終えて合流することに。

 弟によれば食後に医師が現れ、このままなら来週退院だと告げられたらしい。張り切って空回りしなければ良いが、おそらく予定通りに進むことだろう。

 次の話をせずに解散。今度はおとなしく退院の知らせを待つことにする。父も大変だろうとは思うが、正直なところ夜作業して昼見舞うのには疲れた。

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1月20日

 酒屋だった祖父の商売の様子は、丸っきり落語の登場人物そのものだったらしい。

 誰それはいくらまでしかツケさせない、限界額の直前にいくらまで取り立てる、相手が職人ならいくら以上の分はタダで仕事をさせてツケを相殺する──などなど、相手が長屋住まいの町人であることを想定したかのような手法だったようだ。祖父の一代前は江戸時代の江戸なのだから、そんな様子であっても当然ではあるのだけれど。

 実は我が生家も、そうした「タダ働き」で作られた。

 若き日の父にはそれら全てが気持ち悪かったようで、たとえ戦禍がなくとも店を継ぐ気は全くなかったんだとか。意外となるべくして公務員になったのかもしれない。

 だから現在も、例えば数百円以内の得のために労を惜しまない類の人たちとは馴染めない。失礼ながら、父にとってはちょっと頭のおかしい人だということになる。もちろん表立って主張するわけではないのだけれど、本心がそこにあるのは間違いない。



 そのせいだろうか。

 何に注力しているのか理解してくれる理想的な取引相手に出会い、仕事の量も申し分ない。残念ながら実入りだけが・・・という息子の話をにこやかに聞いていたかと思うと、おかしいことなど何もない、金なぞ足りなくなったらいくらでも援助してやる、今日は気分が良い、などと言っていた。

 おかげ様で息子は根幹から揺らぐこともなく、今日も好き勝手に我が道を行く。

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1月16日

 センター試験に挑戦中の皆さんに幸アレ。




 母が来週のミッドウィークに遠出すると言うのでどうしたのかと思ったら、二度しか会ったことのない伯父が晩秋に亡くなったいたとかで。

 っつ~か聞いてねぇし。よく聞けば、本当はぼくにも知らされないままだった話らしいし。んじゃ、実は喪中だったんじゃん!・・・みたいな話で。

 この伯父は若い頃に祖父に勘当されて籍を抜かれていたもんですから、ちとフクザツ。納骨とか言ってるけどどうするんだか・・・ま、知るはずのない話だったんですから、そのまま知らん顔します(ぇ




 各所の掲示板で色々絡んでいただいてるのでガッツリお話したいのですが、それはまた週明けにでも。

 ごめんなさい

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1月14日

 ぼくは1月14日曜日生まれです。生まれた日と同じ曜日の誕生日に、なにかちょっと感じるところがあります。

 なんかこう・・・背中の辺りにもわもわ・ぞわぞわって・・・え?何?・・・ああ、なるほど、こういうのは悪寒って言うんですか 話変わってるだろ




 それはともかく、Partnersページにおきまして次の皆さんのリンクを訂正しましたので、ご報告。




1:ネスタッチさんが日記をブログに移され、そのままホームページとなさいました。既に1000回を超えられた日記が次の1000回へとリスタートされたわけです。

 前サイトでお使いいただいてました、ぼくの描いたネスタをそのままお使いいただいてます。ありがとうございます。いっそキレイに書き直そうかと思ったんですけど、やっぱりあの感じは二度と出なかったり。奇跡だったとしか(笑




2:みやんさんのページにつきましては、意図してコッソリがイイのか、大々的にリンクしてよいのかをご本人にちゃんと伺っておこうと思いまして、先日面と向かって「リンクしてヨシ」とのお言葉をいただいて来ました。

 ぼくのFlashやアイコンはそのまま使っていただいてますので、だらけばばあの勇姿もそのままです♪ありがとうございます。

 でも・・・多くの皆さんが実物のみやんさんとお会いになられた今、あれじゃお叱りが来そうですよね(笑




3:にゃんこせんせは、パーソナルなもの、文章練習用、本気で書き物するところなど、いくつものBlogで復活なさってます。ここは図々しく旧友面させていただいて、パーソナルなところにリンクしました。

 ところで、い~があれしまへん(誰

 その辺りの、HNの細やかな変更の理由につきましては、あちらに詳しく記述があります。




4:杯を頂戴しました(笑)、yukoさんソーイングスクールにもリンクさせていただきました。

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1月12日

 10日のイタリアからボンジョルノオフ会は、実に楽しかったです。

 ま、この日記では常々、いわば一番内側の部分をお見せてしてしまってますから、手持ちのカードを全部お見せした状態でスタートするようなもんですもんね。

 つまり、こんな楽な「初対面」は他にないわけで。だからって、宮さんの夫君と新宿で飲みまくって記憶なくした時のようなところまでは・・・行っちゃいけないですけど(汗




 では、この48時間ほどを軽く(文は長いけど/笑)振り返ってみるとします。




 往路は実に楽なもの。家を出て通りに出たら、思いのほか空いている道にちょうどバスが来たので、出た時間は予定の37分オーバーでしたけど、乗ることの出来た電車は最良から2番目くらいでした。

 ええ、最良ではないんです。keikoさんちの掲示板には「早く着いたら海を見に行くので髪が磯臭い・ギリギリだったら駆け込むのでカラダが汗臭い」みたいなことを書いておいたんですけど、なんとも普通の時間に着いちゃいました。




 店の前にはサイト名が明記されたオフ会の看板が立ってました。あそこでもし「貸し切り」ってイタリア語で書いてあったら読めなかったかもしれません。しかし、実際に書かれていたClosedを「参加者を限った」イメージに持っていくのに数秒を要しました。ほら、まだ閉まってる感だって日本語フィールならあるし。まあそこは奥ゆかしいって思っていただければ(ぇ

 実際には、もし準備中だったとしたってどなたか関係者はいらっしゃるわけで、それなら「アンタ誰?」なんていう展開になるわけがないんで、フツーに入って行きました。




 あらかじめ写真の予習復習をしておいて良かったです。階下の店内へ足を踏み入れたその場所に、yukoさん・hitomiさん・まみるさんが立っていらっしゃいました。

 yukoさんはkeikoさんちの掲示板でお返事し損なったままでしたから、ご挨拶というよりお詫びスタート。でもサイトは拝見してましたので「ホンモノだ♪」って感じでした。

 hitomiさんはイタリアオフのご様子を写真で拝見してましたし、そうでなくても勝手に「良く知ってる人気分」でいますから、むしろご丁寧に自己紹介していただいてしまって申し訳ないくらいの感じ。

 まみるさんは・・・不思議な気持ちでした。何て言うか、「カタチなんか軽々なぞれるけど、くだけたエナジーだってバリ出せるわよ♪」な感じ・・・って、こんな表現じゃわかりにくいか。

 つい十秒前の予定では、ソフト~にハグするつもりでいましたけど、なんかそんなことしちゃいけない気分になってしまいました。これも上手く説明できません。

 しかもまみるさんって、どことなくサブの飼い主さんと似た雰囲気があって、声までちょっと似てたり。縁って不思議なものだな~とシミジミするばかりでした。




 そのまみるさんが声を掛けてkeikoさんが振り向いたご様子ったら・・・原作まんがを全巻読破した後で劇場版を見に行ったら、主人公が両手を広げてスクリーンから出て来たみたいでした。これはきっと皆さんご理解いただけるかと思います。

 思い出そうとするとファインスローになっちゃいます。

 それに、なんて言うのかな・・・あれはハグじゃなかったですね。どっちかと言うとSteveという名のが「ああkeikoさんはぼくのひと」って思っちゃったような(笑)。気分的には抱っこされちゃった、って感じでしたね。

 おまけにアッズーリのカレンダーまでいただいてしまって、更にサンタクロースも兼任ですかって言うイキオイ・・・なんかゴメンナサイ。




 テーブルから大きく下げられた椅子に腰掛けていると、その日のお仕事を終えた都さん登場。顔も声も知ってるのに会った事ない方というのもヘンな感じです。元はと言えばぼくがコソコソ逃げ隠れしたからなんですけど。

 都さんはジョーイのことでyouちゃんにも気を遣ってくださいました。ありがとうございます。ご自身もまだアレなところ申し訳ないです。

 あの姉妹の場合、姉が先代のジョーイについて10年以上かかりましたので、妹も同じくらいはかかるだろうと思います。コウちゃんがいるのが幸いな部分もあり、しかし遠くない将来また・・・という不安もあり、です。

 そういえば都さんって、今回の会の人のつながりで極めて重要なポイントになってましたね。ぼく自身かなりの方と都さんちで出会えましたし。あんまり自覚をお持ちでないのがまたソンケーしちゃうところ。




 一方みやんさんはと言えば、まさかの迷子スタート。おかしいとは思ったんですよ。集合時間から40分経っても来ないような方ではないですから。あれ?と思った時に電話してみれば良かったです・・・これは反省点

 何かの流れで「お嫁ちゃんダッコ」がどうとか言ってたのですかさず持ち上げてみたら・・・みやんさん予想以上に軽くて・・・ちょっとグッと来ちゃいました。色々考えちゃって。でもほら、そんなふうになったら嫌がられますし。逆に「おい、コイツ大概太ってんぞ」のみやん節を引き出して・・・ここはオレ満点(ぉぃ




 よその掲示板でお名前だけ存じ上げてる方、メルマガ読者の皆さん、keikoと実生活で交流がおありの方など、いったいここ何人来てるんだ?!という会になりました。広く思えた会場も、今じゃ狭っ!です。




 あ、そうそう、料理につきましては、ぼくからのトンチンカンなコメントはやめておきますね。ただお伝えしておきたいのは、これをキレイに食べる技術はないぞドウシヨウと思いつつ、キョロキョロしながら誰も見ていない隙に一口でパクリ!とやった瞬間・・・suwanさんと目が合ってしまったことでしょうか(笑)

 見~た~な~




 その後、会の途中で都さんを誘って席の移動です。まあ正直に言えば、普段から交流のある方たちのまとまっているテーブルへ逃げたくなる事情もあったり(笑)

 いえいえ、yukoさんに杯を受けろと仰せつかってもいましたからね。あくまで自然の成り行きです(ぇ

 そこでkeikoさんは「ここからMaestro Natoオフ会です」って仰ってくださいましたけど、あの場にはそれじゃチンプンカンプンな方もいらしたんじゃないかと、妙な汗をかいてしまいました。むしろ、間もなく朕の聖誕祭である、皆のもの苦しゅうない、とか言えば良かったかな(違




 しかし皆さん同士のおしゃべりには感じるものがありました。知ってて言わない事、わかってるから触れない事、そういう塩梅が上手。ま、それに合わせるなんて百年早いですね。つまり一生追いつけなかったり(汗




 さて、あれやこれやを挟んで、クイズ開始。ken&hanaの名前みたいな簡単なところからイタリアの地理・歴史まで、多彩な問題で楽しませていただきました。時々三択の中身があまりに面白過ぎて、問題を忘れてしまいそうになったり。

 トーナメント的に皆さんが負け抜けしていく中、ラストは結構難しくなって来てタイヘンだったんですけど、まみるさんのまつ毛サイン攻撃のおかげで(笑)最後まで勝ち残ってしまいました。ぼくもお返しに宇野宗佑攻撃してましたけどね。う・・・なんか喩えが下品でゴメンナサイ。




 出先からホテルに直帰で一日を終えるはずだったまこさんご夫妻もお見えになりました。お二人とも穏やかでにこやかで・・・ああそんなお二人にベロンベロンで初対面なんて恥ずかし過ぎる・・・しかしそこは初心に戻って、最初から一番内側見せてるから大丈夫♪な気持ちに切り替えました。

 実際にお目にかかってみて、ますます北海道に伺ってガリガリ豆を挽いてみたくなりましたが、更にまこさんに「おかわりっ♪」ってしてみたい気持ちが湧いて来ました。

 これも意味不明ですね、スイマセン。なんて言うのかな・・・この方と朝ごはん食べてるなんて、ご家族皆さん幸せですね~♪って感じなんですけど。

 ご主人とは常々、黙って半日並んで座ってたら幸せになれそう♪と勝手に予想していましたけど、今回改めて「それをするなら場所は美瑛」とか妄想が膨らんでしまいました。北海道へは一度も行ったことないくせに(笑




 ほどなく&心残りなくお開き・・・ウソウソ、ここで終わったらもったいないです。

 三姉妹幹事(違)の皆さんがいろいろ算段してくださってる間に、みやんさんに連れられ外に出て、図々しくタバコまで買ってもらってプカプカ。まあ、タバコ持たずに会に伺うのも気遣い、ここで付き合うのも気遣い、気分が良いのに越したことはないですよね(それ気遣い違うわ!)

 タクシーに分乗して向かった二次会の会場は、なんとS.K.Yソーイングスクール。yukoさんの聖地に酒持って乗り込んでイイのか?イイんです!(ぇ

 ここでは、興味津々だったyukoさんの半生を少しだけ伺うことができました。もしマンツーマンで伺ってたら、マジ泣いてました。やっぱり世の中間違ってるとも思いましたし、他の皆さん同様、背負っていらっしゃるものの大きさに圧倒されました。

 いや、その頃はもうただのヨッパライ、というのが実像ではありましたけどね。グラス倒して酒も思いっ切りこぼしちゃったし、ほんとロクなもんじゃないです。

 とかやってるうちに3時。その後数時間ではありますけど、椅子を並べてちょっと寝て・・・ええ、泊めていただきました。




 7時、yukoさんとまみるさんが来てくださって、はとバス組の朝食に同席しました。と言っても、ぼくはコーラだけ。帰ったら大急ぎで仕事しなくちゃいけませんから、腹にモノ入れたら眠くなっちゃいますしね。

 皆さんは関内から東京駅へ向かいます。そりゃそうです、はとバス観光ですから。

 で、ぼくは一人寂しくお別れです。keikoさんはここで最後のチャンス(欧州式ご挨拶)をくださいましたけど、やっぱりここでも犬の気持ち・・・どころか、今度は形まで犬の挨拶になってしまいました(笑

 でも、目を細めて見守ってくださったまみるさんのご様子も込みで、なんかこれって愛だな♪って心底思えたから自分的には大満足。

 ホームへの階段を上っていく皆さんに手を振ったら、ぼくの乗る路線の駅へと歩を進めます。さっきまで皆さんとご一緒していたファミリーレストラン、皆さんのお泊まりになっていらしたホテル、そしてぼくの宿舎(違)ソーイングスクール。

 ・・・まるで巻き戻し再生でもしているような風景の中を歩き、どこまで下るんだよと言わずにいられない地下深くへと下りました。この駅、地下深過ぎ!(汗




 さて、予定ではなんとか夜のうちに帰ってバリバリ作業の予定が・・・調子に乗って長居した挙句、結局朝になってしまいましたから大慌て(笑

 でも昨夜の映像がいくつも鮮やかに蘇ったりして、マトモに集中できません。結局今朝までかかって、ようやく納品することが出来ました。




 ぼくの「1月10日」が今ようやく終わろうとしています。

 本当なら、起こった事・お話しした事などをじっくり整理してから現実に戻りたかったんですけど、それだと無性に寂しくなっちゃうから・・・ちょうど良かったかも?

 そして今日は、もう皆さんのはとバスも観光も終わったから降っても良いよね♪と言っているかのような小雨。これまた、現実に戻るには都合の良い天気になりました。

 でも、まだ当分は夢から覚めそうにないです。




 じゃ、関西オフ会の成功をお祈りしつつ。

 おやすみなさい ちょっと待て

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1月9日

 うへ~・・・もう明日ですよ、keikoさんのオフ会。

 色々と考えるところもあったんですけど。

 結局、堂々と手ぶらで行くことにしました(ぇぇぇぇぇ

 掛け値なし、文字通りの手ぶらです(ぉぃぉぃぉぃぉぃ

 だって貧乏なんだも~ん♪


 「♪」じゃねぇよこのヤロー ガツッ





 当日のお話は、また12日以降に書こうと思います。

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1月4日

 昨日、大晦日の視聴率関連の情報が出ましたね。紅白歌合戦は、このところの低迷よりだいぶ良かったみたいですね。かつて75%を超えていた時代がウソのようではありますけど、TV自体が低迷し始めたご時世に40%越えはスゴイんじゃないかと思います。




 実は、日ごろ紅白と甲子園は無視と決めているぼくも、嵐→永ちゃんのところだけは見てました。

 嵐の方では、残念ながらまたしても「時計じかけのアンブレラ」はメドレーに入っていませんでした。でも、10年前のデビュー曲と近年の大躍進を象徴する曲、さらに昨年前半のナンバー1を加えた内容には納得です。

 まさかの永ちゃん登場には驚きました。しかも、「時間よ止まれ」はとっても好きな曲ですから嬉しかったです。当時はランクインしていても絶対TVに出て来なかったですからね~。感慨深かったです。




 一方Dynamiteも16.7%と昨年を上回ったようです。ただこちらは番組の構成がよろしくない様な。いきさつだの経歴だのが長くて、番組開始から第一試合開始まで45分かかっている始末。

 目玉のひとつだった金メダリスト対決もおかしな経過で台無し。ファウルカップが割れてしまうほどの○蹴りなんて、即反則負け、即追放でもおかしくなかったはず。しかも、レッドカードが単なる減点だなんて格闘技界でもあり得ない裁定があったりして、モヤモヤ感が大きかったです。

 そのせいか、メディアも反則後の経過を可能な限り無視して、I選手が何も出来なかったという論調で書いています。それが主催者側の意向なのか、メディア側のせめてもの抵抗なのかはわかりません。

 とかエラそうに書いてますけど、ほとんどの時間はTVをつけているというだけ。ずっとウトウトしてました。数時間に及ぶ番組の中で、興味があるのはミノワマンくらいでしたので・・・。で、それは見逃してたり(ぇぇぇぇぇ

 
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1月3日

 また初詣に行きそびれました。だって昨日からずっと昼間中BOSS全話をまとめて放送していて、じゃ夜中はと言えばずっと「24」やってるもんだから・・・って、止むを得ない感の無さったらないですね

 「じゃ」とか書いてますけど、年越しを除いて、夜中の神社はあんまりイイ雰囲気じゃないですよね(汗

 
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1月2日

 Steveお正月の公式。

 海苔+餅+スライスチーズ+海苔=うんめぇ~♪

 数学じゃないので、海苔を「2海苔」とかまとめて言っちゃダメですよ。そこで順番を間違えたら・・・まあ、手で持ちにくいだけなんですけど(笑



 さて・・・初詣、どこに行こうかな

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1月1日

 沈殿裂け足して米で問う土台ます。

 梵天も道祖乏しく宛がい動機曲げます。








 ん~イマイチ。

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