10日、祖母の十三回忌で久しぶりに故郷を訪れた。仏事に大安も仏滅もないものだが、全国的に善行は大安に行うのが宜しいらしい。
山の手線の一番後ろの車両に乗って円周の三分の一弱を進み、昔馴染みのホームに降り立つ。下りるとすぐに階段がある。
幼い頃家族旅行に出かけるときには、父にぶら下がりながら三段飛ばしで降りてみたものだった。今は、段を飛ばして一気に駆け上がると息が上がってしまう。
これまた代わり映えのしない町並みを早足で進むと、これは道なのか私宅の入り口なのかと毎度迷う坂が、不意に現れる。上り切ったところに寺がある。
親族を集めることも無かったようで、両親と弟夫妻とが先に来ているだけだった。一人にひとつずつ饅頭が用意されていたのに手を出さずにいたら、父が持って帰れと義妹に渡した。いつもなら無理でも食えと言われるところだったから、これは面倒が無くて良いと茶をすすっているうち、程よい時刻になった。
曹洞宗なのに論語好き、という住職のユニークな好みを見越してか、それとも仏事とはそういうものなのか、席順は父に次いで二番目だった。
近頃では料理屋の類でも茶だの何だのをこの順に出されるので慣れて来てはいるが、何か人の道に反しているような気がしなくもない。
住職は何を思ったのか、皆の焼香がすっかり済んでしまった後で作法についてのろのろと説明を始め、その後長々と死生観を得意げに語り、話だけでもまた聞きに来てくださいと目を輝かせていた。
我が名の書かれた卒塔婆を天秤棒のように担いでのしのしと墓に向かい、色の変わったのを引き抜いて新しいのを差し込む。塗装されていない木同士の擦れ合う音だけが墓地に響く。
前日の雨のせいか墓石に汚れらしい汚れは無かったが、彫られた文字の部分にわずかにある苔を、弟が束子を使って丁寧に落とした。
線香の束を横に倒しながら所定の位置へ持って行ったところで、母の持って来た花の茎が長過ぎるのではないかという話になった。切る道具など要らぬ、お前が手でちぎれと父が言うので、茎の束をつかんで力任せにねじ切った。
ざくっざくっと砂利を踏む音同士が、時々合ったり合わなかったりしながら続く。
おや、この感じは何かが違うな──そうか、今は義妹がいる、一人増えたからだ──と感慨にふけっていると後方から弟が、そういえば前の何かの時に日にちを一日間違えていたね、と声をかけて来た。
確かにそんなことがあって、一度顔を出せなかった。あの時は父に、増えたはずなのに増えていない人数分の音を聞かせてしまっていたのかもしれない。
弟が、母と義妹を乗せて自動車で中華料理店を目指す。残る二人でそれを見送ってから、ゆっくり徒歩で追う。
足から老いの来ているはずの父だって乗って行けば良いのだが、思うに長男の金銭的苦境を慮って、金の無心をしたいなら今だぞ、という時間を作ってくれたのではないか。この日の心持ちはどうあれ、父がそういう人であることは間違いない。
カスッカスだがそれもまた楽しいものだと、大仰に近況を語りながら近道へ誘い、あっという間に目的地に着いた。まだお互いに酒の入る前だから、こんなことででも意の無きは伝えられたものとは思う。
駐車場のあるせいで少しだけ広く見える空に、千切れた綿菓子のような雲がひとつだけ浮いている。
「旧」体育の日は、この日も晴天だった。
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