2011年6月の日記
TOPへ戻る


6月30日

底辺増=頂点減がここでも?

 昨日はKARAの新曲発売日。強敵が多いので一位を獲れるのかはわかりませんけど、まあまず大ヒットはするでしょう。

 そうなると、更にファンが増えるのかな?そう思うと、常々気にかかっていることが問題化して表に出てきそうな気もします。



 ちょっと回りくどい話になってしまいますけど。



  ←この懐かしい発音記号、ご存知ですよね。

 正解とも言うべき英語の発音があるのに、左だけ見た日本的発音と、右だけ見た韓国式発音とがあったり。

 一番わかりやすいところで、正解がfan、日本でファン、韓国でペンなんて具体例がありますよね。



 come backやalbumの概念を韓国式で通したがるような人たちは、KARAメンバーの発言を訳すなら日本語表記でも右だけ見るのが正しい!って思っていそうです。

 同調を強要しなくても、公にそう発言されれば左だけ見たい派が気分を害してしまいそうでもあったり。まして直せとか言われたら・・・。



 今後も日本国内にファンを増やすつもりなら、あえて左だけ見る姿勢で統一した方が良いと思いますけどね。

 そうでないと、TVでその日に好きになってくれた小中学生が、翌日学校でその話をしようとした途端に隠語知らないなら仲間はずれ!みたいなことになってしまうかも。

 まあぼくは別にファンクラブに入るつもりもないですし、好きにやってくれれば良いんですけど、些細なキッカケで内紛が起きないことだけを祈ってます。

 そしてできれば、どっちが多数であるかで決着しないで欲しいです。リズムやラインやスリムを、頑張ってこっち式に発音してくれたギュリのためにも、日本ではこうしておこう、みたいな感じで間口の広い方向に行ってくれれば・・・。

ページのトップへサイトのトップへ



6月28日

色々ありそう

 本国の番組での様子が批判されてたとかいうハラですけど、番組視聴してませんので良く知りません。

 ただ、一日経ったら熱愛スキャンダルで(批判と言うか騒ぎ自体を?)吹っ飛ばしにかかるとは・・・やっぱりDSPメディアのマネージメントって行き当たりバッタリで危ういような気がしてしまいます。

 Youtubeの公式チャンネルなんて、一般ユーザーの違法動画をパクって載せた挙句に止められてた事ありますもんね。

 色んな意味で危うい・・・。




またかよ

 さて、思い出してみましょう。

 震災当日から続々と集まった、具体的かつスタンバイOK状態にある1000ほどの救済案・政策の全てを無下に跳ね返し、代わりに復興妄想会議を立ち上げて、結果的に3ヶ月も被災地をないがしろにしたのは一体誰でしょう。

 あのまま簡易宿泊施設やキャンピングカーがどっさり被災地に届いていたら、仮設すらいらなかったかもしれないのに。

 4箇条あった覚書の、一番肝心な4箇条目を人の手を使ってなくさせた上、俺を信じろとか言って署名すらしなかったのは一体誰でしょう。

 紛れもなく本物のペテン師です。

 昔大分のつり橋を視察した時、陳情に駆けつけたジイサンに「話しは後で聞く」といって追い払い、結局視察が終わったら、追いすがるジイサンを無視して車に飛び込んで逃げ去ったのは一体誰だったでしょう。

 ええ、昔から嘘つきなんです。

 人が良いアイディアを出すと「失敗した時、お前如きで責任取れるのか」と恫喝して黙らせているのは、一体誰?

 ハッキリ言ってしまえば自己愛性人格障害者です。モラ野郎やDV野郎と同じ人種です。





 国民の大半も3~14日の停滞を恐れて、半年以上の後退を望んでしまいました。ツケは大きいです。月頭に解散総選挙に持ち込んでいた方が、結局は早かったですよね。

 今日も今日とて、ヤツは退陣とも辞めるとも口にしてませんし、メドのひとつとさえ言ってるんですよ。子供のようなヘリクツとは言え、逃げ道満載です。

 メディアもいい加減、こう言ったからこういうことだろう──じゃなくて、しっかり具体的な単語を言わせる努力をするべきでしょう。そうでないとまた録画テープ見ろよ俺言ってないからで済まされてしまいますよ?





 もう賛美歌13番をリクエストするしかないんですけどね。

ページのトップへサイトのトップへ



6月27日

「極」よさらば?

 なんだかんだで、震災後に同業者がごっそりいなくなったらしいです。元請けにしろ下請けにしろ。

 計画停電の時は業務停止する郊外の会社も現れて、いよいよオシマイなのかとも思ったんですけど、縁遠くなっていた取引先が突然復活したりもして、4月以降の仕事量は凄まじいものになっています。

 正直、先週は本気で死ぬかと思いました

 でも単価が安いので、何倍こなそうとも決してリッチにはなれないのが玉に瑕。もがき苦しみつつもまずまず充実といったところです。意味不明度が日銀みたい(汗

 要するに、極貧の「極」くらいは取れたのかな?ただ浮き沈みが常のフリーランスですので、早くも来月ピンチなんてこともありえますけど。




  まみるさんのパグ絵が凄過ぎて言葉が出ず、結局何もコメントできずに帰って来ちゃった今日のこの頃──皆様お暑うございます(ぉぃ

ページのトップへサイトのトップへ



6月25日

最高ですKARA~♪

 噴火だ震災だ放射能だ豪雨だと、気がかりが多過ぎてつぶれてしまいそうな日々ですけど、KARAを見ていると幸せになります。

 2週連続のMステ、最高でしたね。

 ジヨンが日本語検定を受けるらしいこと、ニコルが日本語に自信を持ってるらしいことなど、ミニステにも重要な情報がチラホラ入ってて見逃せませんでした(特に1週目)

 そのミニステで「凄ぉぉ~く」と言おうとして「少ぉぉ~し」と言ってしまったスンヨンが、後からツイッターの一文で「します!」と悔やんでたのもカワイかったですね。

 日本語で育った日本人には、ちゃんと(ジェスチャーからも)前者だってわかってたから大丈夫なのに。

 続く2週目は、「男性に言われて嬉しいこと」を皆で照れながら言ってるのが良かったです。よし、せっかく知ったんだからひとつ心を込めて書いておこう(ぇ


ニコルは何をしててもかわいいね♪


(ここに書いてどうなるんだって話ですけど)





 やっぱりしみじみ思うんですけど。

 KARAのライバルは、他アイドルなどではなく『リカちゃん』『リルぷりっ』だと思います。そう思うとGoGoサマー!が天下の名曲だって思うことも──出来なくはないですよね(笑

 実際、『リルぷりっ』好きで有名な子役さんが、放送が終わったら急にMisterのダンスを始めた、なんて例もあります。

 曲や振り付けを覚えてくれる小さい子を味方につけて、年齢性別を越えた人気を手にして、近い将来国立競技場クラスのスターになっていただきたいところです。

 もう「K」の括りは不要です。ユニバの中の人によれば、来年はガールズグループを去年~今年ほど推さないそうなので、余計に早く枠組みから脱したいんですよね。形式上も、って言うか。





 個人的な希望がいくつかあったんですけど、もしかすると今回の来日でふたつほど叶ってるのかもしれません。噂話の域を出ませんけど、ヒジョ~に楽しみです。

 1:VS嵐出演?

 2:ディズニーキャラと競演?

 ダメかな?今回無理でもいつかは叶って欲しいです。





 今日明日もみっちりKARAデイが続きますけど、来週は大変です。めざましにスッキリ!にしゃべくりに──更に魁!音楽番付までが、まさかの[帰って来る]煽り。

 震災後になぜか超激増した仕事の中、全部観てたら一体どうなるのか不安もありますけど、やっぱ見てると幸せだからね~

 月が明けてもまだまだ続きますよ~

ページのトップへサイトのトップへ



6月17日

こんばんはブランク長いです(違)

 3月14日の夜が忘れられない。



 悪名高き計画停電の初日だった。我が家が区域外になっていたとは言え、不自由なさる方のいらっしゃる時に無駄遣いは出来まいと、灯りもつけずに息を潜めてやり過ごした一日が静かに終わろうとしていた。

 22時。計画停電が終了する時刻になり、徒歩数十秒のところにある24時間営業のスーパーマーケットまで行こうと外に出る。

 歩き始めてすぐ、お~えっく~す♪という幼児の歌声に驚いた。件のスーパーの名前だが、それを歌詞にした歌があるなどとは聞いたことがない。

 いつもよりずっと暗い道に、両親に連れられた幼稚園児くらいの女の子がいた。ゆっくり歩く両親の周りを元気よく駆け回っているこの子こそが、歌声の主だった。

 お~えっくすに~行~け~ば~♪

 ごはんも買える~♪

 お~えっくすに~行~け~ば~♪

 ウ*チも~できる~♪

 即興で無邪気に歌う女児の一日は、いったいどんなものであったろう。電気を無駄遣いすることのなかったのはもちろん、おそらくモダンな集合住宅に住んでいるがゆえに(大型ポンプのことを思って)トイレすら我慢した、善き親子の頑張る様子は容易に想像できた。

 彼等にとってもまた、苦難と忍耐の末にようやく訪れた22時だったのだろう。しかし、震災の思わぬ余波が親子を襲う。

 終日開いているはずだったスーパーには明かりすら灯っていない。当分の間9時から21時へと営業時間を狭めると書かれた紙が、堅く閉ざされた扉に貼ってあった。

 どうしてぇ~!

 女児の悲しい声が夜空に吸い込まれて行く。

 両親は共に腰をかがめて我が子に顔を寄せ、オーエックスも我慢して節電頑張ってるんだよ、開いている店を探して他へ行こう、と代わる代わる声をかけた。

 早々にその場を立ち去ったので、親子がその後どこへ向かったのかは知らない。ただただ、彼等が幸せでいて欲しいとだけ思う。



 3月14日の夜が忘れられない。

ページのトップへサイトのトップへ




(c)copywrite 2003-2010 TRI=AXE all rigtts reserved.
inserted by FC2 system