2012年3月の日記
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3月10日

まだ一年

 物理的に千キロも離れてしまえば別ですけど、買い占めに走ったバカどもが自らの愚行を「なかったこと」にしたくて風化という言葉を用いているとしか思えません。

 ぼくにはまだ、吊り下げたフライパン同士が揺れて激しく打ち合う音も、計画停電の夜にスキップしながら歌っていた少女の声もハッキリ耳に残っています。

 ドライヤーを使うたびに誰にともなくゴメンナサイと言ってしまいますし、仕事がまたまた増えたからとは言え、電気代を人様より多く使わなければ自分の暮らしが立ち行かないことに歯痒さを覚えています。

 それに・・・年中無休で揺れぬ日のない茨城が、またしても5+に襲われたことには心臓が止まりそうでした。

 理由はわかりませんが、正直なところ11日を迎えるのが怖いです。13:45~15:15を明日の睡眠時間にしようと、真剣に考えています。






大空襲の日に思う


 しかし、戦災の方はすっかり風化してしまいました。

 そりゃそうですよ。他所の国の村に行って、民間人のケツからクチまで竹やり突き通してゲラゲラ笑って来ました──とは、本人の口から言えるはずもない。

 その人の孫の世代の中にアメリカと戦ったことさえ知らない人さえ出て来てしまうのは、容認は出来ませんけど当然のことなのでしょう。

 USA公文書館には映像も写真もたくさんありますけど、戦後50年経たないと公開出来なかったのがあまりにもイタかったですね。一足違いで、日本はすっかり勘違いバカの世の中に変貌してしまいました。

 しかも、それらの資料の存在が公になってなお、国会も役所もマイナスの歴史は次世代に伝えないと公言して来ましたからね。以前にも似たようなことを書きましたけど、克己・自制・自戒の概念を持たない日本人なんてイヤです。

 これも同じく前にも書きましたけど、5000を超える物に対してわずか一桁のインチキを指摘できたからといって、残る4990以上はどうするんだよ!って、当たり前のことを思うばかりです。






敵は内にあり、っていうのは・・・


 もっと、戦地以外の戦争を皆知るべきだとも思います。

 もうすぐ来る占領軍への恐れから「山中に逃げる」とかならわかりますけどそうではなく、「今のうちに村の内々で思う存分強姦しておこう」と言う発想を持っていたのが日本の非戦闘員。

 気のイイ駐在さんが、将校から「銃後の守りは頼む」と言われた途端に理不尽な鬼コーチと化して、村の主婦たちに過酷な竹やり訓練を連日強要した挙句、バアサンまで足蹴にして罵倒するのが「戦地ではない所の戦争」。この上ないパワハラ?プラス、人格交代と言っても過言ではないですよね。そんなことが全国で数限りなく起こるのです。

 病気で召集されなかったエリートを皆でコケにしてたら、ぶちギレられて30人殺しが起きるのもまた「戦争」です。

 気に入らない相手がいるから殴る、みたいなシンプルな物ではないんだと言うことが、あまりにも理解されていません。日本人が日本人を傷つけてしまうから怖いんですよ。

 自衛隊が日本防衛軍JDFとかになっても一向に構いませんけど、どこかと戦争になるのはゴメンです。なればなったで、たとえ勝っても多数の非戦闘員が、加害側であれ被害側であれ死ぬより辛い傷を一生負うことになるんだということを、もっと体験者たちの口から上手に伝えられないものかと・・・もうかれこれ20年以上イライラしっぱなしです。






余裕無いったら・・・


 「隣国がいつまでも謝れと言う!」とお怒りの方も随分増えましたけど、戦後50年で長崎に捧げられた米海兵隊からの花を、地面に叩きつけ&踏みにじって大騒ぎしたのは日本人ですから・・・人のことどうこう言えないでしょう。あの映像を今のハイティーンに見せたら「これって*国の話?」って言うかもしれませんよ?長崎が自分の地元じゃなければ都合良く他人事にしたいでしょうけど、コトはの問題なので別の括りに逃げちゃダメ。

 それに、隣国が「視野に入ってしまった」ということは、相対的にこちらがそこまで落ちぶれたということでもあります。向こうにのし上がって来た自覚や態度を促すのは無理と思いますので(笑)、こちらが余裕の構えを見せるしかないんじゃないかと。まあそこのところは人それぞれ。






誰に都合良くてもインチキはインチキ


 1975年くらいまでの人たちは皆、「靖国」とか「英霊」とかは一般市民と一線を画した言葉だと思っているのが常識でした。実際戦時中はそういう括りだったわけです。

 その後こっそり内規だけ書き換えて、四半世紀も世の中に対して黙っていたら、そりゃ人々が知る由もありません。

 ぼくの知る戦地帰りのオッサン達は皆、オレァあんな所には行かねぇ、と毒づいてました。彼等が全滅しかかるような無責任な指令を出していた側の人たちが祀られている場所だ、ということだそうで。ごもっとも。

 それは当時の大人から子供まで、皆が共有していたことです。京極夏彦さんの作品で言えば、関口が戦争で死んでたら靖国行けてましたけど、木場修だったら行けなかったんですよ!あ、それくらい高慢ちきで理不尽な話だったということです(笑

 それなのに昨今、一番数が多いが最下層である末端の二等兵まで「靖国で会おう」と言い合っていた、と思っている連中が増え過ぎました。なぜ当時をご存知の方々が文句を言わないのか、まったく意味がわかりません。まさか、実は元はされてなかったけど英霊扱いして欲しかったから願ったり叶ったりとか、そういうこと?あるいは裏で年金に関わるオハナシ(笑)でも来てたり?

 それはともかく。いっそ、そんなところに眠ってません~♫って、二番煎じの歌でも作ったほうがイイかもしれませんね。神社側がどう思っていようと、です。

 向こうが仏教徒でもキリスト教徒でも構わず、黙っていつの間にか合祀してたんだから、こっちだって外してもらえるかに構わなければ、イヤだという権利くらいはあります。

 逆に、あそこで真摯に祈りを捧げたい方はご自由に。そういう方の行為までインチキ呼ばわりするはずのないことは書いておきます。でもできれば別のところにして欲しいのが本音ではあります。






いつから終わってた?


1:世界一の経済大国になり、

2:住宅金融公庫で政府が庶民の財布を狙い、

3:四角四面なルール馬鹿のために元号法案化の動きが始まり、

4:噛み付くのが人生みたいに言っていた連中が、皆掌を返して既存社会の一員(笑)になり、

5:中学生への教育カリキュラムを、特に数学に関して「概念の構築しにくい順」に構成して、物を考えない馬鹿の育成にいそしみ始め、

 今思うとベトナム終戦の前後って、実は日本終了の始まりだったのかもしれません。いつの間にかエゲツない金儲けが正義になり、都合のイイところだけ欧米化しながらコトの本質がいつも30年遅れてる・・・そんなダッサイ国になってしまいました。






明治から始まる無限ループ


 でもね、もう色んな意味で無理なんだと思います。言葉本来の意味でのキナ臭さは年々強まるばかりですし。

 ・・・で。

 次の戦後ももまた、誰かが「漢字をなくそうぜ!だって俺読めずに恥かいたからさ!」とか言い始めるあたりから、次世代が「そんな事実があったという文書は残っていない!証拠が無い!」とか言い出す辺りまで、一つ残らず完全リピートの予感。

 愚かに過ぎますね。

 だからこそ今、通信より口伝。流れに逆らってでも、慎ましくとも──いえ、むしろ慎ましく穏やかに発信し続けなければならないのだと、空襲が震災に霞んだようにも感じられる今日という日に思っているところです。

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3月1日

うるう年で良かった:2

 従量制の仕事だと、1日多いのはラッキー。

 ただ、それだけの話です(ぇぇぇぇぇ

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