子供の頃に長い休みの間を過ごした家には、引き戸の玄関から門までの間に「たたき」があった。置かれた石の上を跳ねながら路地へ出ると、左右の視界いっぱいに区役所に併設された駐車場の塀が続く。それが切れるまで少しの間左に行くと学校の校門のような入り口があり、脇にはプレハブのこじんまりした職員向け食堂が立っていた。
駐車場に車が入っていくためのわずかなスペースに父と並んで立って、小型のラジオをそこいらに置くと、ちょうどラジオ体操が始まる。親子揃って四肢を曲げ伸ばしした後、少しばかりの距離を走る─というのが日課だった。
明治の洋館を思わせる区役所から離れ、かつて水害のあった川を塞いだという道路に出る。やや急な坂を下りていく途中でいつも軽く喘息気味になるので、スピードを落とした。
律儀にペースを変えぬ父の背は徐々に遠くなり、先に路面電車の通る車道へ出て、左に曲がって消える。こちらが角へたどり着いた頃には、道の曲がるのも手伝って、どこまで行ったのか見えない。
ここから先しばらくは曲がりながら緩やかに上って行くので、更に呼吸が苦しくなってくる。もはや走る格好をしながら歩いているに等しい。自らの発する、靴底が軽く地面をする音が疲労感を倍増する。
しかし、向かって右方向の眺めが良くなる場所へ来ると気分がすっかり変わる。朝日を浴びた海、切なそうに汽笛を鳴らして進む船、手前には数え切れないほど多くの貨車を力強く引くD51──と、長い夏休みの非日常感を実感して余りある心躍る風景がいくつも重なる。
加えて、毎日この時間に特急の始発が出る。発車のベルの後、ぴょおうという甲高い警笛と、機関車の推力に客車がついていく瞬間のガコーンという重い金属音とを合図に、じわじわそろそろと列車が名残惜しげに動き出す。朝とは言え、まだ車内の明かりが点っているところに独特の風情があった。
無粋なことにそんな特急列車を人力で追い抜こうと、つい全速力を出してしまうのもまた日課のうちだった。もちろん、何秒かのうちに抜き返されてしまうのは言うまでもない。
去り行く列車に別れを告げて全速のまま角を曲がると、ゴールへ向けて急な上りが待っている。長く見えなかった父の背がそこで不意に、それも思ったより近くに現れる。いつもここで追い越し、もとの食堂前のスペースへは少しだけ先に着いた。
そんなのでは体を鍛えられはしない、同じ調子でずっと行かねば意味がないと父は毎度嘆いたが、結局学生・生徒である間中ずっと、同じ「夏休みの朝」を二人で繰り返した。
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