母国語をまともに操れない国民が、今や90%を超えているように思います。
5.5をゴウテンゴと言えず、14日(ジュウヨッカ)のイントネーションを間違え、目的格の助詞を用いた受動態での表現ができず──もうただただ呆れるばかり。
問題はそれだけではありません。単語に引っかかって文節が読めず、文節に引っかかって文が読めず、文に引っかかって段落が読めず──といった具合で、文章が読める人も激減してしまいました。
Aというのがあるが、あれはダメだ、Bにしよう──という文を見て、貴様はAを礼賛するのか!と怒るバカが多数はびこっています。
それは、都知事が「GHQではない」と言うのを「GHQに喩えるなんて!」と怒っているバカの数で容易に実測・実感できます。
漢字の読めない子供が、駅の表示をタ・カ・ダ・ノ・バ・バと一文字ずつ読むが如きレベルに堕ちていますね。
文章を欠いたら書いたで、、幼児が息も絶え絶えに話すが如き(つまり、まだろくに話せない子供の息継ぎの)位置で句点を打ちまくるような有様です。それも、大学教授や高級官僚でさえ(公式書類を除き)このレベルなのです。
こうして母国語が操れなくなった国民の下に、日本語が母国語であるとは言えない大量の移民が低コスト労働マシンとして送り込まれ、やがて多数派が入れ替わって・・・この国はやがて日本ではなくなることでしょう。
日本でなくなる=滅びる事を防げはしないのでしょうが、
あなたのようなやんごとなき方が お出ましになられますにはまだ早うございます
とか、
お別れしたくないのは山々ですが 左様なら仕方ございません
という、世界に類を見ないユニークかつ繊細な挨拶をする独特の文化を、もう少しだけ大事にできたらいいなと思います。
ところで。
ぶぶ漬け食べて行かれませんか? (≧∇≦) な~んてね
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